先日、アーセナル(Arsenal)がイングランドプレミアリーグ03-04シーズンに無敗優勝を成し遂げた件について記載しました。
当時のアーセナルの強さを再認識しましたが、その時の中心選手について改めて確認してみようと思います。
今回はフランス代表ティエリ・アンリ選手です。
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アーセナルのレジェンド ティエリ・アンリのプロフィール
名前:ティエリ・アンリ(Thierry Daniel Henry,)
生年月日:1977年8月17日
国籍:フランス
ニックネーム:ティティ
経歴
1994-1999 ASモナコ(フランス)
1999 ユベントス(イタリア)
1999-2007 アーセナル(イングランド)
2007-2010 バルセロナ(スペイン)
2010-2014 ニューヨーク・レッドブルズ(アメリカ)
ASモナコ時代
1994年にリーグアンにデビュー。当時モナコの監督であった、アーセン・ヴェンゲルに抜擢されました。1996-1997シーズンには36試合で9得点をあげ、リーグアン年間最優秀若手選手を受賞しています。
ASモナコ時代のアンリのプレー集はこちら。
1994-1995 ASモナコ(フランス):8試合3得点
1995-1996 ASモナコ(フランス):22試合3得点
1996-1997 ASモナコ(フランス):48試合10得点
1997-1998 ASモナコ(フランス):44試合11得点
1998-1999 ASモナコ(フランス):19試合1得点
ユベントス時代
1998-99シーズン途中にユベントスに移籍。
ユベントスでは慣れないサイドハーフで起用されたため、19試合で3得点という不本意な成績に終わります。
ユベントスでのゴール集はこちら。
1999-2000 ユベントス(イタリア):19試合3得点
アーセナル時代
1999年にかつての恩師アーセン・ヴェンゲルが指揮を執る、イングランド・アーセナルに移籍。
アーセナルでは、センターフォワードの位置でゴールを量産します。
2001-2002シーズンではリーグ戦24得点で得点王を獲得します。また、チームもマンチェスターユナイテッドの4連覇を阻止し優勝。FAカップも制覇しシーズンダブルを達成します。
2002-2003シーズンはリーグ戦2位に終わりますが、自身は24得点をあげ、得点王のタイトルは逃したものの、高いパフォーマンスを披露。
そして伝説の2003-2004シーズン。チームは26勝12引き分けで無敗優勝を遂げ、自身は30得点でプレミアリーグ得点王。さらには前シーズンに引き続き、PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞しています。
2004-2005シーズンは無敗記録を49試合まで伸ばしたものの、リーグ2位。アンリは25得点で2年連続のプレミアリーグ得点王に輝きます。
2005-2006シーズンはリーグ4位に終わるも、アンリ自身は27得点で3年連続の得点王を獲得。UEFAチャンピオンズリーグでも決勝まで進出。先制したものの逆転を許し1-2で惜しくも敗れました。
アーセナル時代のゴール集はこちら。
1999-2000 アーセナル(イングランド):47試合26得点
2000-2001 アーセナル(イングランド):53試合22得点
2001-2002 アーセナル(イングランド):49試合32得点
2002-2003 アーセナル(イングランド):55試合32得点
2003-2004 アーセナル(イングランド):51試合39得点
2004-2005 アーセナル(イングランド):42試合30得点
2005-2006 アーセナル(イングランド):45試合33得点
2006-2007 アーセナル(イングランド):27試合12得点
バルセロナ時代
2007年に40億円の移籍金でスペインのバルセロナに移籍。
ロナウジーニョ、サミュエル・エトー、リオネル・メッシとともに「ファンタスティック4」と呼ばれる強力な攻撃陣はかなり期待されたものの機能せず、移籍初年度の2007-2008シーズンはリーグ戦12得点に終わります。
翌2008-2009シーズンは監督にペップ・グアルディオラが就任すると、アンリ自身も本領を発揮。リーグ戦19得点をあげる活躍をみせます。さらにUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でマンチェスターユナイテッドを2-0で破り、念願の優勝を果たします。
2009-2010シーズンは本来の活躍ができず、4得点に終わります。
バルセロナ時代のプレー集はこちら。
2007-2008 バルセロナ(スペイン):47試合19得点
2008-2009 バルセロナ(スペイン):42試合26得点
2009-2010 バルセロナ(スペイン):32試合4得点
ニューヨーク・レッドブルズ時代
2010年にアメリカMLSのニューヨーク・レッドブルズへ移籍。
2012年1月にMLSのシーズンオフを利用して、2か月限定でアーセナルに復帰。7試合2得点という実績以上にレジェンドとして多大なインパクトを残すも、MLSシーズン開幕前にチームに復帰。以降、2014年12月にチームを退団するまでコンスタントに得点を重ねました。
NYレッドブルズ時代のゴール集はこちら。
2010 NYレッドブルズ(アメリカ):12試合2得点
2011 NYレッドブルズ(アメリカ):29試合15得点
2012 NYレッドブルズ(アメリカ):27試合15得点
2013 NYレッドブルズ(アメリカ):32試合10得点
2014 NYレッドブルズ(アメリカ):35試合10得点
フランス代表
1998年の地元フランスでのワールドカップでは3得点をあげ初優勝に貢献。
2000年のEURO2000でも3得点をあげ優勝。ワールドカップとEUROを連続で優勝した初めてのチームとなりました。
2002年の日韓ワールドカップでは、優勝候補として期待されたものの、初戦でセネガルに敗れると1勝もできずグループリーグ敗退。アンリ自身も2試合目のウルグアイ戦で退場処分となるなど精彩を欠き、早期敗退の戦犯と扱われてしまいました。
2004年のEURO2004でも精彩を欠き、チームも何とかグループリーグは突破したものの、決勝トーナメントでギリシアに敗戦。EURO連覇はなりませんでした。
2006年のドイツワールドカップでは3得点をあげる活躍をみせたものの、チームは決勝でイタリアに敗戦。惜しくも準優勝に終わり2回目の優勝は成りませんでした。
ワールドカップであげたゴールはこちら。
まとめ
- モナコ時代はヴェンゲル監督に見出され活躍。
- ユベントス時代は不慣れなポジションで不本意な成績に。
- アーセナル時代は中心選手として活躍。プレミアリーグ03-04シーズンには無敗優勝を達成。
- 3年連続得点王を含む、254試合で174得点をあげ活躍。
- バルセロナ時代はファンタスティック4として期待されるも機能せず。
- グアルディオラが監督に就任し本領を発揮。
- NYレッドブルズ時代はコンスタントにゴールを決め活躍。
- フランス代表では1998年フランスワールドカップ、2000年EURO2000を連続優勝に貢献。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
アーセナル03-04シーズンの無敗優勝(インヴィジブルズ)の記事はこちら
https://pepeblog.net/2019/07/08/arsenal03-04/